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新年会をおこなっていよいよ今年の中野JCも活動開始となりました。
そこで18日に活動企画会を開催したいと思います。
とても寒い日々ですがHOTで楽しいイベントを計画しましょう。
みなさん参加よろしくお願いします。
新年会当日の午前に新宿シティハーフマラソンに参加しました。国立競技場スタート、ゴールなのでプロランナーの気分が「少し」楽しめます。皆さんも来年参加してみてください。
渡辺さん新年会幹事ありがとうございました。
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ホノルルマラソン奮闘記
〜From「行楽チーム」岩崎 香里
ホノルルマラソンの出場を決めたのが、開催日のちょうど1ヶ月半前、所用や休養日の予定を除くと
1ヶ月もトレーニングができない。しかし、周りの友人や夫に「絶〜対完走する!!」などと大きなことを言いふらしてしまった以上、その発言を取り下げることができなかった。
初めてのフルマラソン、42.195キロなんて 想像もつかない距離をどうやって走ろうか? 30メートルほど走るだけでも息があがってしまうのに、本当に完走などできるのだろうか? 不安ばかりが胸に渦巻いていました。
そもそも「絶対無理だと思うことをやってみたい!」「30代にこれをやったと言える様な何かを残したい」なんて考えたことが全ての間違いだった。「失敗した〜〜〜」とどれだけ強く思ったか・・・。なんて事してしまったのだろう・・・。しかし、開催日は刻一刻と迫ってくる。そんなネガティブなことばかりも言っていられない。
とにかくトレーニングしなくてはと、強迫観念に駆られて、時間を見つけては駒沢公園を走り、 駒沢公園ばかりでは飽きてしまうので、多摩川土手を二子玉川〜蒲田あたりまで走ったりしました。
主人に薦められ、ランニングと同時にスポーツクラブで筋力トレーニング、スポーツクラブのインストラクターの勧めでヨガ、ピラティスなどのスタジオクラスに参加。インナーマッスルを鍛えることに重点を置いたトレーニングをしました。体のメンテナンスのために週1回のペースでアロママッサージ、開催日2週間前から整体で骨の調整、
2度ほど風邪をひきそうになり病院に通院など、体調にも気を配りながらどうにか故障もなく開催日当日を迎えました。
そして当日、眠い目をこすりながら午前4時50分頃、スタート地点付近に到着、大きな花火が上がり、5時にスタートした。(噂には聞いていたが)もの凄い数の人がダラダタと歩きながらスタート。まともに走れるようになるまで3〜40分かかったのではないでしょうか? とにかく出たい気持ちを抑えて
ゆっくりペースで10キロ、一緒に参加した仲間たちが少しずつペースをあげてゆく、少しキツかったが どうにかそのペースについていった。
18〜19キロ地点を通過する頃、暑さとオーバーペース気味? だったせいか
だんだんと息が乱れ、ペースが落ちていった。仲間からも離されとうとう独りぼっち、正直苦しいし心細い・・・。
これから未知の世界の25キロ、30キロ、〜ゴールまでの距離が待っているのに、またもやここで断念か・・・?
そう、練習時40キロを2回チャレンジしたが、2度とも膝の痛みに耐えられず終了。20キロ以上を走るのは本番が初めてだったのです。ペースが落ちるとともにネガティブな気持ちが大きくなるが、それでも頑張ってやっとの思いで折り返し地点を通過、たくさん人が並んでいたが、気分転換もかねてトイレ休憩をした。
「もうゆっくりでいいや〜。完走できれば早く走る必要ないんだから」と自分を慰め、開き直り(?)、残りの半分を走ることに。
ところが、気分転換がよかったのか? 沿道の応援が力になったのか? 25キロを通過する頃から体が軽く、今までの苦痛がどこへやら? スイスイ足が前へ出る。30キロ、35キロ、40キロと、若干息苦しい部分もあったが、前半とは打って変わって、気持ちの軽さが違う。ゴールまであと数キロ、時計を見ると5時間ちょっとか、うまくいけば
4時間台も夢ではない。とにかく少しずつペースをあげて、どうにか4時間台 に食い込もうと必死で走りました。
ラスト600メートル付近から猛ダッシュ・・・、がしかし、40キロ走ったあとの猛ダッ
シュは300メートルが限界。 あとはもとのペースにもどし、残りの300メートルを。5時間台に入るか、切るか? ゴールして時計を見ると
4時間58分。辛うじて5時間を切っていました。ちょっと重たい筋肉痛はあるものの、 この上ない充実感に包まれました。最高に素晴らしいボランティアとコースで、大変心に残る楽しいマラソンでした。その結果、私は今月末にまた、新宿シティハーフマラソンの参加を決意してしまいました。
次はトライアスロンにも挑戦しようか・・・・・
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谷川真理ハーフマラソンに参加
〜From「練習チーム」松本 憲治
今年こそはトレーニングに励もうと思いつつも、ダラダラとしているうちにあっという間に過ぎ去ってしまった正月気分を吹き飛ばすため、1月8日(日)に開催された「谷川真理ハーフマラソン」に参加してきました。
当日は、1万人を超える参加者があり、これまで自分が参加してきた大会では、最大級のものでした。
レースでは、冒頭にも述べたとおり、年末から年始にかけては、実家の広島で何もすることなく過ごしていたこともあり、5キロあたりから足が非常に重く、体力の衰えを感じ、「せめて、毎日少しでも走っておけばよかった!!」と、後悔の念にかられつつ、楽しいはずの大会が、終始、苦しいものとなってしいました。
タイムは、あまりにも遅かったのと疲れていたため、ゴール時に時計を見なかったので、不明となっていますが、4月には、宮古島トライアスロン大会出場が決定したこともあり、これから徐々に体を作っていこうと思います。
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脳は大切です!
〜From「宴会チーム」今泉 陽子
一昨年の冬あたりから数回、激しい頭痛を経験し、今年の正月にもまた同じような痛みを経験しました。一昨年のものは、おそらく国家試験に向けて、目を酷使したのとストレスが原因かと思いましたが、今年のものは、はっきりした原因も見当たらず、動脈瘤でもできているのではないかと不安になり、脳のMRIを撮りに行きました。
医師からは、「動脈瘤などの危険なものなら、ろれつが回らなくなったり、麻痺などでるのだから、MRIは必要ない、おそらく三叉神経痛か後頭神経痛」といわれました。でも、水泳中などに突然死するとまずいので、インターネットで、「頭痛外来」のある脳外科を探し、なんとか保険内で脳のMRIを撮ってもらいました。(さすがに、医者にトライアスロンに出場したいのだが、大丈夫だろうか? などとはきけません。たいがいの場合、このスポーツ名を口にしただけで、この患者はめちゃめちゃ丈夫という印象を与えてしまうようです。)
その病院の待合室では、「頭痛外来」を目指して来ているのは私だけで、あとはほとんど75から80歳以上の方で、いずれもすでに脳血管障害で倒れられて、そのあとのリハビリのためにいらしているようでした。ちなみに隣に座っているご夫婦は、だんなさんが患者らしく、医師の問診に備え、「今日は何月何日?」、「自分の名前と生年月日、住所は?」と、奥さんがだんなさんに質問して、練習させていました。そのおじいさん(失礼)だんなさんは、「どうも住所と生年月日が、ぐっちゃになっちゃうなあ」とおっしゃっていました。(ご本人には悪いのですが、そのようすが少しおかしかったです。)それと同時に、鍼灸学校の「臨床医学各論」で習った脳神経外科の症例の内容がそっくりそのままであることに、あらためて感心させられました。
私の脳には小さな梗塞はあるだろう(これは中高年ならしかたがないらしい)と覚悟していたものの、1mmくらいのものが1つあるといわれ、実際の画像で説明されたときには、少し不愉快でした。幸い動脈瘤などの危険なものはなく、全然心配はないとのことでした。
脳を見ると、どの部分が発達しているとか、自分の内容が明らかになってしまうようで、あまりよい感じはしません。少なくとも、医療関係の知り合いには見せたくないものです。これからは、恥ずかしい思いをしないよう、脳の老化を招かないようなくらしを心がける必要がありそうです。幸いなことに脳は使えば使うほどよくなるとのことで(使い方にもよりますが)、肉体同様にアンチ・エイジングをめざすのが、これからのテーマかもしれません。
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新年会に参加して
〜From「行楽チーム」由村 節子
中野JC創立20周年を兼ねての新年会は大勢の方達と、とても楽しい時間を過ごさせて頂きました。まだ、皆さんが若かった頃の(今でも十分若い?)集合写真を見ながら思い出話に花が咲きました。
島田先生のアフロヘアーやひげには驚きました、はっきり言って似合わない、今の方がとても良いです。普段ゆっくりと話を出来ない方達とも色々な話が出来ましたし、JCの今年の企画もJCで沼津トライアスロン駅伝参加など楽しそうです。とても楽しい新年会を計画していただいた幹事さんありがとうございました。

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★「小さな種子で大きな夢を」〜フーミンの農園日誌(連載G)
〜From 島田 文武
2006年元旦(日)曇
私は生来の無信仰者です。今日でも妻と神社仏閣に参詣した際に、妻は本殿・本堂に向かい長々と合掌していますが、その間、私は半ば呆れながら「何をいつまで祈っているのか?」、お祈りが終わるのを待っているばかり。とにもかくにも、神や仏に感謝の念や祈願の気持を抱くことがありません。また、私は若い頃、古代文学と歴史の勉強を続け、そのかたわら数十回にわたり京都や奈良、大和の神社仏閣を訪ね歩きましたが、信仰の念はひとつも湧くことなく、ただただ天平や貞観の丈六仏の美しい姿を眺めているばかりでした。
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氏神様の三社神社
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そんな私でも、お参りを大切にする気持がまったくないわけではありません。唯一、土地の氏神様に対する尊敬の念は、信仰とは関わりなく大切だと思っているのです。それで昨年、東金の地に移ってきた元旦に、妻と息子と3人で極楽寺の氏神様(三社神社)へお参りに行きました。すると古びた本殿の中には、村の衆が20人余り集まって酒を酌み交わしていたのです。村の衆のほとんどは農家の爺さんばかりですが、その中に近隣の戸田さんが副総代という立場でおられ、戸田さんの誘いで私たちは本殿へ上がり込み、お神酒を戴いたのでした。私は村の衆に、
「最近、引っ越してきた島田です。それで氏神様にご挨拶に参りました」
と申しましたところ、私の近くに座っていた中年の男が、呟くようにこう言いました。
「ならば、酒の2本ぐらい持ってこい」
確かに新参者として御酒を献上すべきだったと思いました。しかし、その時は氏神様がどのような神社であるか見当がつかなかったし、ましてや本殿で村の衆が酒宴を開いていることすら知りませんでした。それから1年間、私は無念の思い抱きながら暮らしてきましたが、いよいよ今年元旦の昼頃、あらかじめ仕入れた2升の酒を下げ、氏神様へお参りに出掛けたのです。すると昨年同様、村の衆が集まっていて、正月の酒を楽しんでおりました。
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4反の畑
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本殿に上がり、今年、総代になられた戸田さんの隣の席に座り、お神酒を戴きました。そして私の対面する席に座っていたのが、近隣の山沢さんという農家のお爺さんでした。年齢は84歳、戦時中、特攻隊の予備軍として活躍したとのことです。また、戸田さんや山沢さんとの会話の中で、私が市民農園を楽しんでいるという話から、なんと山沢さんの農地4反(1,200坪)を「貸してあげよう」というのです。"驚き桃の木山椒の木"です。また驚いたことに、その4反の農地は、先に無償で貸してくれるという猪能さんの200坪の農地の隣地です。1,200坪に200坪、合計1,400坪。本格的に百姓になって、元旦に村の衆と一緒に酒を飲もうかしら?
1月18日(水)曇
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萎れていたハクサイ
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今年になって初めて市民農園の畑を見に行きました。この間の寒さや雪、強風などが災いして、野菜は満足に育っていません。唯一ニンニクの茎と葉の背丈が、いくらか伸びたぐらいでしょうか。ハクサイも萎れていました。やはり毎日、畑の手入れをするようでなければ、百姓にはなれませんね。1,400坪の畑、私にできるかしら?
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クラブの皆さんが活動にあまり参加できる状況でない昨今でありますが、会員である以上、どのようにお過ごしであるか、いろいろ知りたいと思っています。
というよりは、クラブの仲間同士ですから、知り合うべきでしょう。
だから、せっかく立ち上げたホームページの閲覧、そして掲示板を大いに利用して、コミュニケーションをとりありましょう!!
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「JC会報編集部」では、皆様からの原稿をお待ちしております。レース情報、近況報告、要望、会報を読んでの感想など、どんな話題でも結構です。編集委員が校正して原稿といたしますので、お気軽にお寄せください。(原稿は一部手直しする場合もありますが、ご了承ください)。投稿先は会報編集部まで。よろしくお願いいたします。
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中野JC(ジョイ・サークル)
編纂 中野JC編集部会/発行 中野JC事務局
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