6月13日(土) 幹事会 |
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18:00〜 中野ルノアール |
6月21日(日)
BIKE練習会 |
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10:00〜 府中分倍河原駅スタート |
6月27日(土) ランニング練習会 |
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14:00〜 多摩地区 |
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代表からのメッセージ
テレビで石垣島トライアスロンを放映していましたが皆さんはごらんになりましたか?
個人的なことですが、3月末に掌を骨折したため、本日まで自転車に乗れていない状況が続いています。
5月は、手術の予定でしたが、奇跡的に骨が安定し、手術は回避できました。
こんな状況の中で、久しぶりにみた石垣島のレースは刺激的で、レースに挑戦する彼等と共に純粋に感動しました。
また、私もあの様な笑顔であの様な感情を味わいたい!!
まだ掌は完全には直っていない状況ですが、様子を見ながら自転車に乗り始めたいと思います。
5月は皆さんにご迷惑をおかけしましたが6月から練習を再開したいと思いますのでよろしくお願いします。
島田さんから6月の農園作業のお誘いが来ています。
素晴らしい初夏の自然を堪能させていただきましょう。
中野JC 代表
井下 克彦
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サイクリスト清志郎を偲ぶ
〜From 島田 文武
「キヨシロウさんが間もなく来ますよ!」
「キヨシロウ? 誰ですか? それは」
「ロック歌手よ。今、人気の…」
東京・五日市の山村にあって、手打ち蕎麦の旗が棚引く店の名を「木の小屋」といった。新緑の頃、独りで出掛けるサイクリングの際に、休憩がてら決って寄る場所だった。7〜8年前の、矢張り風薫る5月頃だったと記憶している。私がその店に着いて、何時もながらレーサーシューズを脱ぎ捨て素足になりながら軒下の縁台に座り込むと間もなく、ビール瓶とコップをお盆の上に乗せて母屋の店から出てきた女将が、ニコニコしながら私にそう言い放った。
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ビールと手打ち蕎麦
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キヨシロウと名付く者を全く知らない私は、それ以上、女将に問うこともなく、何時ものように出された山菜の漬物を摘みに、グッグと瓶ビールを渇いた喉に流し込むのだった。新緑が山から吹き降ろす風に靡き、見上げた青空に白雲が勢いよく流れていくのが見えた。道を挟んだ山側に流れる渓流の音が、汗を掻き熱くなった私の身体を冷まし、サイクリング途中の心和む休息の一時を与えてくれた。
そのうち女将が言ったように、キヨシロウなる者がロードレーサーに跨り、数人の輩とやってきた。5・6人程だったか? 店の周りの垣根にロードレーサーを並び終えると、私と同じく屋外に置かれた木製のテーブルを囲み、蕎麦を食べ始めた。彼らも私も最初に簡単な挨拶を交わしただけだったが、そのうち或る若者の一人が、私がビールを飲んでいる様子を窺いながら、
「サイクリングの途中なのに、ビールを飲んで大丈夫ですか」
などと声を掛けてきた。即座に私は、
「僕にとってビールは、スポーツドリンクなのだよ」
そう言ったら、彼らは一応に深く頷いて、何のことはない! 彼らもビールを注文し始めたのである。ビールを飲み蕎麦を食べるそのうちに、いつしか私と彼らとの間でサイクリング談義が始まった。これがロック歌手「忌野清志郎」軍団との最初の出会いだった。
それから1箇月ないし2箇月後、再び「木の小屋」で会った。今度は彼ら清志郎軍団の方が私より先に来て居て酒盛りをしていた。お互いに顔を見知っている同士は、再びサイクリング談義をやることになったのだが、そのうち清志郎が私の側に寄ってきて、
「実は、我々で東京から本州の果ての鹿児島までサイクリングツアーをしたいと思っているのですが、どうでしょうか」
と真顔で聞くのである。結構、真剣な様子なので、
「貴方達の力では無理だよ。渋谷からこの五日市まで平坦の道を走って来てへばっているようでは、箱根や鈴鹿の峠を越えて九州まで行くことは出来ないでしょう」
私は言下に否定したものの、私の側に寄ってきた他の若者達にも、自転車の乗り方やトレーニングの方法等を解いて聞かせた。清志郎は仲間達と九州までのサイクリングを成功させる方途を模索していたようである。それからもう一度、彼ら軍団と矢張り「木の小屋」で会ったが、以降、私がサイクリングの矛先を変えたこともあって、会うことはなかった。ただ風の便りに、清志郎一行が有力なサポートを受けて、自転車で九州まで走ったことを後に知った。
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五日市・養沢渓谷の手打ち蕎麦屋「木の小屋」
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それから時を経た今、忌野清志郎が癌で亡くなったことを知った。彼の死で、私は初めて彼の舞台姿をテレビで一見したが、その姿や声は、五日市の「木の小屋」で会ったサイクリストとは違った。私が会った清志郎は、物静かな語り口で話す一人の中高年サイクリストだった。その清志郎が、私よりも五つ程、歳が若いというのに亡くなったという。
何ということか! 偶然にも同じ店でビールを飲み、蕎麦を食べた、その邂逅を懐かしむと共に、私より先立ったことを悔やみ、悲しむ。
「サイクリストは不滅であるべきだ」
清志郎の死を知って、私の心の中で理由もなく、そんな言葉を吐き出したい思いに駆られている。そして、このところご無沙汰ばかりのレーサーを組み立てて、清志郎を偲びつつ「木の小屋」までサイクリングに出掛けたいと思っている。
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三度目の正直ならず、またも敗退!
〜From 小林 智
会報を拝見させていただいているが、JCのメンバーからの投稿が少なく、会員の一人として、少しでも賑やかしになればと思い、書きました。
五月の連休の一日(5月2日)を外秩父七峰縦走にチャレンジしてきました・・・が、またしても!?途中でリタイアとなってしまいました。
この外秩父七峰縦走は、東武鉄道で毎年ハイキング大会を実施しており、小川町の駅をスタートして700、800mの山、7座を連ねて寄居まで、およそ43キロくらい歩くコース。
走るのは禁止されており、6時半スタートで12時間以内でゴールするものです。
2年に分けて完歩もよし、1日で歩くもよし。
しかし、半分?近くは舗装道路を歩くようなコースで、この舗装道路が疲れる。
思い起こせば、昨年7月に一度挑戦するも、途中、道がわからず時間を費やすとともに、暑さでバテてしまう。
結局、白石峠で下山。歩行距離21キロくらいだったと思います。
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白石峠 バイクの連中も
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4月のハイキング大会 和紙の里にて
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ハイキング大会、登り渋滞
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さらに、今年の4月に由村さんがハイキング大会にエントリーした際、よし!再度!っと・・。
私はエントリーには間に合わなかったが、とりあえず同行させていただく。
しかし、ハイキング大会ということで、あまりにも人が多くて(参加者6000人以上)、山で大渋滞。
結局、自分のペースでは歩けず、時間もかかるということで、途中、笠山峠から下山。およそ19キロくらい。
そして今回、リベンジで挑戦。人はおらず、この前の山が嘘のよう。
走ることはしなかったが、ほとんど休みなしで歩く。
昨年の白石峠をこえ、急階段をのぼり、定峰峠から、大霧山まで行くが、途中から、下りの際、右ひざが痛み出してきた。騙しながら歩くも痛い。
単独ということもあり、無理せず、結局、粥新田峠でリタイア。27キロくらいか。
またしても、完歩出来ず。悔しいがこれが実力。
そういえば、4月の大会の時、前を歩いている人の話では、8回参加で達成は4回とのこと。
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白石峠から170段の階段
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大霧山にて 少しバテテます
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振り返ると歩いて来た、笠山、堂平山、剣ヶ峰
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目の前に目的の山々が見えて、それがいつの間にか遠く後方に見えた時、歩いてきた軌跡を感じる。
低いといっても、アップダウンの連続で、結構身に応えるし、野生の鹿の群れが目の前を走って通り過ぎたりと、普段では味わえない体験が。
これから暑くなるので、この低山コースを歩くのはきつい。
特に晴れた日、舗装道路を歩くのは太陽の照り返しで結構暑い。
何回も来たくなるような山でもないが、涼しくなる、今年の秋口にでも、4度目挑戦して何とか完歩したいと思っている。
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高畑山&倉岳山
〜From 小林 智
5月23日(土)
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倉岳山
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暇なため、また、新しい靴の履き慣らしのため、中央線沿線の山へ行ってきました。
24日(日)にしようと思っていましたが、天気が悪いとのことで、1日早く行くことにしました。
今月の10日に百蔵山に行ってきたのですが、その向かい側の山になります。
ここ鳥沢駅は扇山の登山の基点となる駅で、どちらかというと、ここで降りた登山客8割は、そちら扇山に行くのではないかと思われます。
鳥沢駅8時半過ぎ出発、登山入り口まで30分。
地図を片手にうろうろ、・・・太陽が暑いです。
貯水池を過ぎ、石仏のところの分岐から、いよいよのぼりです。
途中少し休みを入れて、高畑山まで1時間(駅から2時間)。
雪の富士山が出迎えてくれています。
少し下がったところに案内板があり、右に下ると、バイクで峠好きの人なら知っている雛鶴峠へ。
さらにそこから下り、天神山を過ぎ、穴路峠からまた登りです。
今日は、樹林帯の中が多く、暑さ・苦しさはそれほど感じませんが、顔、頭からは汗が滴り落ちています。
11時30分に倉岳山到着
南西に富士山、北に、百蔵山、扇山が目の前に、さらに大菩薩峠がある小金沢連峰が見えます。
ここで、昼食と休憩。
一人で歩くと、あまり休憩も取らない状態だが、歳を重ねるにつれ、休みを適宜とり、疲れを早めに回復したほうがよいのかも知れない。
後は、下り。
峠からその先に行こうか迷ったが、靴擦れか、足回りが少し痛くなってきたので、そのまま下山。
梁川の駅到着、午後1時15分過ぎ。
本日はかなり時間に余裕があり、ビールくらいと思うが、駅には何も無く、中野駅へ2時半過ぎに着くも、やはり一杯飲むには早すぎか・・・。
駅前、あるいはサンプラの前で、缶ビールもオヤジ・親父くさいので(実際オヤジなのだが)、仕方なく?家へ帰ってから・・・。
(折角、汗をかいてもそれ以上にビール飲むので痩せないのでした。)
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NY&CTトライアスロン便り その3
〜From 中野JCニューヨーク支部長 大島 啓文
世間ではSwine Fluの感染拡大が心配され、日本でも大きく警戒態勢がとられていると聞いています。こちらでも近くの高校が一時的に登校停止になるなど感染拡大のための予防措置がとられていますが、普段の生活という観点ではいたって平穏無事に過ぎています。
したがってGreenwich Triathlon Clubの活動も特に休止することなく続いており、今回は前月のレポートの最後で触れた通り、『なるほど、だからアメリカ人はロングのバイクが強いのか!』をテーマにレポートしたいと思います。
Clubに加入してから4回ほど週末の70 Mile(112Km)のロングライド練習会に参加しましたが、なぜアメリカ人が軒並みBikeが強いのか、その疑問の答えを探し当てるのに時間はかかりませんでした。
毎週土曜日、7:30AMにいつもの集合場所であるBike Shopに集まってから、皆でこの70Mileの練習会に出かけます。人数は5名から10名程度で、多くはカーボンフレームにDHバー仕様、だいぶ年配の方もビシッとバイクジャージでキメて集まります。平日はまずトレーニングしていないであろうメタボ系のおじ様も、財力にモノ言わせて最新のマシンで颯爽と登場します。これらメンバー、格好だけ決めているわけではありません。ボトルや補給もしっかり携帯し、パンク対策はもちろんカートリッジを忍ばせています。準備からすると、それこそこのままレースに出かけかねない雰囲気で、最初これを見た時『(練習なのにちょっと力入りすぎなんじゃないの・・・。)』と、ひそかに思っていました。、が、そんな思いも、スタートしてまもなくすぐに消え去りました。
とにかくみんな早い。ウォーミングアップがてら、信号ごとに止まりながら身体を温めていくことしか知らない東京育ちのトライアスリートには、おおよそ想像もつかない展開で練習会が立ち上がります。まず、信号がない!というか、信号がなく車の往来がないコースをあえて設定し、いきなり早いペースで始まります。そんな無茶な、と思っていたのは私だけで、みんな集合場所に来るまでのコースでウォーミングアップがてらひと叩きして脚の準備を整えて集まっているらしく、練習会スタートは即座に密度の濃い内容に入るのです。こんな風に始まる練習会ですが、なんと結果から言うと、多彩な面々のアマチュアトライアスロンチームのレベルにもかかわらず、この70Mileをなんと3時間半程度で終えます。コンビニ休憩、トイレ休憩などあえてリクエストしない限りとることなく、レース同様走りながら補給をし、とにかく走り続けます。確かにNYとはいえマンハッタンから30分ちょっと離れているので田舎と言えば田舎ですが、そんなところで3時間半のロングライドの環境が確保できてしまうのは東京では想像できません。
ある日のコースは、信号はこの70Mileでなんとたった6箇所(それもビンディングをはずさなくてはいけなかったのはそのうちたったの2回だけ)、恐らく8割程度はDHポジションで走れて、時には先頭交代(こちらではPace
Runと言います)で30分、時には10MileをTime Trialで競い合ったりとバリエーションに富みながらも最初から最後まで濃密なトレーニングメニューに終始します。私はいつも参加できませんが、この短縮版の1時間程度を平日2回も19:00-20:00に夕方練習会として開催しているので、強くならないわけがありません・・・。どおりでIronmanなどのBikeが速いわけです。
正直今シーズンまだ十分身体のできていない私は、これまで必死についていくばかりです。特に登りでアゴが上がっているのを見かねてか、ある日の練習会の後、代表のJonから日本ではどんな風に練習するんだ?と、東京のBile練習環境のことを聞かれたので、東京の交通量、信号の数、原付自転車+オートバイの存在など、ここでは全く気にしなくていいものをひと通り挙げてやりました。ふーんと聞いていたJonですが、それは大変だね、という顔をしていたものの、あまり共感を得られませんでした。
ただ、日本のほうがいいこともいくつかあります。ひとつめ。こちらの道路の舗装は本当にヒドイ!5センチや10センチ深の穴なんて当たり前で、どうやったらこんなにボコボコでがたがたの舗装が仕上がるのかと思うくらい、悪路が多いです。なので、DHポジションで調子に乗って油断していると、ホイールをとられて落車しかねないほど本当に危険です。あまりにひどいのでなぜこんなに舗装がひどいんだ、と皆に聞いたら、1.そもそも舗装技術が高くない上に、おかしくなったらそこを埋めればいいや、というやり方、2.ちゃんと埋めないからそこから痛んで、そこに冬になると雪や水が入り込み、凍結の結果膨張して路面を押し上げまた舗装が壊れる、という1と2の繰り返しで見事な悪路が出来上がるとのことです。想像を絶する下手な舗装です。
ふたつ目は少々悲しい話ですが、こちらの郊外の道路はまだまだ自然が多い場所を通っており、そこを通る車はみんな速度を上げるがゆえに、多くの動物が交通事故の犠牲になっています。鹿、狸、ウサギ、リスなど、残念ながら70Mileのうちに何度も可愛そうな姿に出くわします。我々も犠牲を生まないように、またそういった障害物に誤ってつまづいてしまわないように注意してBikeに乗らなくてはいけないという点では、日本はほとんどその心配が要らない点で安心と思います。
ということで、いかがでしょうか?今回のテーマの『なるほど、だからアメリカ人はロングのバイクが強いのか!』は、皆さん納得いただけましたか?
すぐには同じようにはなれないとと思いますが、ところ変わればで、とても多くのことが違うBike環境で、まずはこちらのやり方に慣れながら脚を作っていこうと思います。
それでは皆さん、至極当たり前である日本の舗装はスバラシイことを再認識していただき、Bike
トレーニングに励んでください。
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クラブの皆さんが活動にあまり参加できる状況でない昨今でありますが、会員である以上、どのようにお過ごしであるか、いろいろ知りたいと思っています。
というよりは、クラブの仲間同士ですから、知り合うべきでしょう。
だから、せっかく立ち上げたホームページの閲覧、そして掲示板を大いに利用して、コミュニケーションをとりありましょう!!
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「JC会報編集部」では、皆様からの原稿をお待ちしております。レース情報、近況報告、要望、会報を読んでの感想など、どんな話題でも結構です。編集委員が校正して原稿といたしますので、お気軽にお寄せください。(原稿は一部手直しする場合もありますが、ご了承ください)。投稿先は会報編集部まで。よろしくお願いいたします。
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中野JC(ジョイ・サークル)
編纂 中野JC編集部会/発行 中野JC事務局
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